中国今昔玉手箱-江南春琴行

かずよさんの『中国今昔玉手箱』

【第十一回-第二十回】



第二十回 歌舞音曲紀行・ハンガリー篇


 良し悪しはありながら、短い時間の中で比較的効率良く廻れること、等々の理由から、我が家では海外旅行には殆どツアーを利用しています。

 ツアーには、伝統的な民族舞踊や楽器の演奏が楽しめる、フォルクロア・ショウが用意されていることがあります。その土地の民族性や特色を誰にも分かり易く紹介する手段の一つとして打ってつけですし、何より目先が変わって楽しいアトラクションとなります。

 これ迄色々見て来たショウで忘れられないものに、ハンガリーでの思い出があります。
 ホテルの夕食レストランには、民族衣装に身を包んだ楽団がスタンバイしていました。楽団、と言っても男性ばかり4名のユニットで「ブダペストの玉川カルテット」なんて勝手に名付けていました。

 「カルテット」の皆さんは、各テーブルを廻りながら色んな音楽を奏でて行きます。日本人のテーブルだと、『さくらさくら』などが、御馴染みのナンバーのようでした。

 場慣れしている欧米の観光客などは、好みの曲目をリクエストしています。そういう時は特別に演奏して貰うのですから、チップをはずみます。

 そんな彼らの向こうを張ってか、同席の母が『ツィゴイネル・ワイゼン』をリクエストしたのには、正直ちょっと唐突で、驚いたものです。
 しかしあちらはご商売につき、合点承知とラストまで高らかに弾きこなしたのは、お見事。当然、場は大いに盛り上がったのでした。

 思えばハンガリーも常に周辺国からの圧力に晒され、歴史の波に揉まれながら今の平和を勝ち取った国。その背景に思いを馳せると、時にもの哀しく、時に力強い曲調が心に響きます。素晴らしい演奏でした。

 ところで、チップを渡す時はさり気なく。これも多くの日本人がスマートに出来ない行為の一つです。
 目と目を合わせても、お互い手の方は見ないでさり気無くこなすなら恰好が良いのですが、なかなか上手に出来ない。でも大概は、あちらはプロなので、モタモタしているこちらに合わせてスーッと手を出して呉れ、サーッとポケットに仕舞いこむ。勿論、その場で金額を確認するなどという野暮もしません。

 チップに関しては私も反省ばかりですが、この時は一寸上手くいったような気がします。
 面白かったのは、額もそれなりとは云え、コインばかりで失礼かと思いつつ間奏中にそっと渡したチップが、見なくても手の感触で解ったのでしょう。目を白黒、グルグルさせて嬉しさ(?)を、何ともユーモラスな仕草で見せて、又演奏を続けたのでした。
 プロフェッショナルな彼らに敬服し、最後まで本当に楽しい晩餐のひと時でした。


                                   
 次は北朝鮮篇!
(2006.1.1)






第十九回 クリスマス 



 日本人同士は勿論、世界各国から集まっている留学生の間で料理を持ち寄っての食事やパーティも、留学時代の楽しい思い出です。
 ここぞと言う時には自国から持参した、文字通り「貴重品」を振舞ってくれることもあるので、そういう楽しみも寮生活ならではでした。

 誰それの誕生日だとか、国の祭りの日だからとか、キッカケは何だって構わないのです。
 パーティともなると、誰が話しを付けるのか、それとも勝手にやっていたのか、寮内の空き教室がパーティ会場に変身。料理あり、音楽あり、そして誰彼ともなく踊り出したりで盛り上がります。こういうノリに疎い私としては、パーティ慣れしている欧米人留学生を見習って色々と勉強した積りなのですが、果たして身に付いているかどうか・・・。
 そしてクリスマスには勿論、クリスマス・パーティです。

 年が押し迫ってきますと、街もクリスマス一色になります。
 真夏でも建物の縁に延々と電飾が施されるなど、元々電飾が好きな民族性?も手伝って、ホテルのロビーやデパートと云った人の集まる所には趣向を凝らしたクリスマス・ディスプレイが見られてなかなか楽しいです。
 輸出用に作られている、木製のオーナメントや、クリスマス柄を刺繍したテーブルクロスなども安いので、ついつい買い込んでしまいます。

 北京でアメリカンクラブ主催のクリスマスバザーを覗いたことがあります。
 ミッション系やアメリカンスクールにでも通っていれば、日本でも機会はあったのかも知れませんが、思えば外国人がクリスマスの準備で行っている、この類の催しには初めて参加したのでした。

 手作りのクッキーや手芸品を買って、にわかクリスチャン気分も高まった頃、サンタ・クロースが登場!大喜びで群がる子供達に混じって、私もサンタさんと写真を撮り、ご機嫌。

 イイトコ採りばかりのようですが、こうして異国でのクリスマスも、しっかり堪能していたのでした。


                                     
 ・・・以下続く
(2005.12.24)






第十八回 チケット 


 ミュージカル『チンギス・ハーン』を観た年は、日中国交正常化20周年で、北京では沢山の交流行事が開催されました。

 その流れに乗じて、私も色々な催しを観に行きました。日本からも、松山バレエ団の『くるみ割り人形』や、劇団四季の『李香蘭』、サザンオールスターズのコンサート等々、一流の芸能を観る機会が目白押しでした。

 サザンのコンサートチケットを連絡事務所に買いに行った所、特典で特大のコンサート用のポスターとオリジナルTシャツを呉れました。
 ポスターはファンだと云う知人に差し上げてしまいましたが、多分Tシャツは未使用のまま自宅に遺っています。これってプレミアム付くか知らん・・・。

 チケット購入の方法も、昔と今では大分変化を遂げました。現地に駐在している友人の話を聞きますと、本当に驚きます。
 昔は、前述のように公演事務所や劇場窓口などへ赴いての、直接購入が普通だったかと思います。情報も、新聞や日本人会の会報あたりが、せいぜいの情報源。
 対して今や、日本人向けにチケットの取次ぎをする業者が複数存在し、インターネットや電話で予約が可能。希望すればオフィスや自宅まで配達までしてくれるというのです。
 座席はコンピュータ管理されていて、空き状況も即座に判明、というのが当たり前。情報源は、TVの芸能情報番組、広告を載せたラッピング・バス、と手段も様々です。
 その他日英韓各国語版でフリーペーパーが何誌もあり、各種イベント、レストラン情報の取得に苦労は無いというのは、北京でも上海でも、同じなようです。

 さて、話が『チンギス・ハーン』に戻りますが、もう一つ忘れられない思い出として、その時私の席隣に座られたのが、何と愛新覚羅顕琦さん(「男装の麗人」として有名な川島芳子さんの実妹。著書に『清朝の王女に生まれて』)。歴史ファンの一人として、その偶然はとても嬉しいものでした。

 因みに私がその日座っていたのは、忘れもしない7列目の1番。7列目の中央です。チケットを購入しに行った時、一つも席が埋まっておらず「何処でもいいヨ」と言われました。じゃあ一番良い席にして頂戴、と貰った席でした。

 中国の座席の番号は、日本のそれよりも大変判り易くていいな、と思います。真中が1で、左右に2、3、と交互に定められています。劇場の大小に関わらず、番号が若いほどセンターに近いことが判るので、席の位置を知る目安になります。席に着く時も、単号(奇数)と双号(偶数)で左右の入り口が分かれているので、合理的。
 この席番号の付け方は、日本にも導入してはどうか、とずっと思っているのですが、未だ見たことはありません。
                                     
 ・・・以下続く
(2005.12.18)







第十七回 フラワーギフト 2 


 現在は姿を消したようですが、1992年、北京大学にも生花店がお目見えしました。

 でも、花屋なのに暗いしつらえで、扱っている品種はそう多くなく、それよりも学校に花屋カイナ、という感じで、当初は冷静かつ遠巻きに見ているだけでした。

 ところが程無く、私もこの花屋の門をくぐることとなったのです。日中合作のミュージカル『チンギス・ハーン』を観ることになった為です。
 主演は松平健さん、大地真央さん。日本でもそう滅多に観られない、ビッグカップルの共演を北京で拝見出来るという興奮ついでに、是非とも主演のお二人と握手をしよう!という目論見が生じたのでした。

 それには花束じゃ、と同じ北京大学に留学してきた後輩と相談し、当日行って買えないと困るので、と事前に予約する周到さ。と言いますか、開店早々で、未だちゃんと商売が出来るのかの疑問もあってのことです。中国の店頭で、そこに品物があるのに「没有!(ないよ!)」と言われた類の昔話をお持ちの方は少なくないでしょうから、その辺の意図は汲んで頂けるものと思います。哀しき経験(?)の積み重ねがそうさせる、念の入れようでありました。

 華やかなスターのお二人に、ということで、花はバラをセレクト。後輩が白いバラを松平さんに、私が赤いバラを大地さんにと決め、リボンもかけてね、とシッカリ念押ししました。

 さて当日。こちらの心配をヨソに、花束はちゃんと用意されていました。疑ってゴメンネ、です。
 注文どおりの白いバラと、赤いバラ。どちらも片面が透明の袋に見栄え良く入れて、袋の口にあたる、下の方をリボンで結んで留めてありました。花に上から袋を被せるというのは、初めて見ました。包装の仕方にも日中の違いがあるようです。

 しかし果たしてその作戦は、・・・見事成功!!めでたく二大スターとの握手に成功したのでした。
 大地さんが私に手を差し出して下さった時のお顔。美しさに顔が眩むというのは、こういうことか・・・。スターのオーラは、本当にパワーがあるのですね。

 今でもバラの花を見かけると思い出す、エピソードの一つです。
 
                                     
 ・・・以下続く
(2005.12.9)






第十六回 フラワーギフト 1 


 花を贈られれば、女性なら誰でも嬉しいものでしょう。

 花の種類(菊は葬式を連想させる花だから×とか)などに注意すれば、大体において、万国共通無難にして喜ばれるギフトではないかと思います。

 中国でも花を贈るのは、もはやそう珍しいことでもないようです。クリスマスやバレンタインには男性が女性に花を贈るので、大量の生花が消費されると云います。
 高級レストランやホテルでは出入りの花屋や、専門部署が花のディスプレーを受け持っているとのことですし、上海では、日本人のフローリストが活躍なさっているという記事を読んだことがあります。

 それでも90年代初めの中国では、生花をギフト用に入手するのは、まだ一般的ではありませんでした。
 まず花屋という店舗自体が見当たらない。外資系ホテルのアーケードにもあったかな、という感じでした。

 しかし一般市民の間に、伝統的な盆栽や、鉢植えを育てているお宅は勿論ありましたから、当時の人びとの生活が花や緑に無縁な生活だった、というのでもありません。又、祝日などには街角に「草花芸術」が登場します。その園芸装飾技術(?)は、感心に値するものです。

 切り花を活けて楽しんだり恋人や家族に贈ったりという、西洋風の生活パターンが定着したこと、生花を栽培出荷する技術や輸送経路の発達が、この十余年間にもたらした変化、と言うことが出来るでしょう。

 北京や上海に在住の知人によりますと、現在では病院の近くに、患者へのお見舞い用に花屋が軒を連ねているのを見ることが出来るそうです。因みに昔は、見栄え良く籠に盛った果物が、最も気の利いた見舞い品でした。

 市民にとって今でも一般的なのは、小売りの花屋よりも、花卉を扱う卸売市場(同じ敷地内に、ペット用の魚や、鳥なども商うテナントが一緒になって「花鳥市場」なるものも存在します)で、そこで花を求める人が多いようです。


第十五回 中国人学生食堂 3

 食事は、食堂内のテーブルで摂ることも出来ますが、食器を返却する必要が無いので、屋外や寮の自室に持ち帰って食べる学生もいます。

 一刻でも早く口に入れたいのか、立ったたまま、もしくは歩きながら(!)食べてる光景を見かけることもしばしばで、これには驚きましたが・・・。

 各食堂には、それぞれ学一食堂、学二食堂・・・と少々味気無い名前が付けられていました。
 近年北京大学を再訪した折も、その名称は変わっていませんで、ストレートなネーミングがレトロな感じすらしますが、中身は改革が進んでいるようです。
 椅子やテーブルは新しいデザインのものに変わっていましたし、今では食券の他に、プリペイドカードも導入されているそうです。

 又、料金は高めな設定だと思いますが、元々の学生食堂が進化したような、お盆や食器を返却する、キャフェテリア方式と云うのでしょうか、雰囲気もオシャレで新しいタイプの食堂が近年登場しています。

 留学生が中国人学生食堂を利用したい場合、利用は可能でしたから、例えば、学三食堂で朝食にだけ出ている肉包子(ロウパオヅ・肉まん)を食べたいが為に、頑張って早起きをする留学生もいました。
 きっと中国人学生にもそれぞれ、ご贔屓の食堂、或いはメニューがあるのではないかと思います。

 因みに私は学五食堂のピーナッツ餡入り焼き菓子が、大の気に入りでした。それだけを買いに、脚を運んでいたものです。
 あれは是非とも、今一度お目に(?口に?)掛かりたいメニューの一つです。

・・・以下続く(2005.11.21)











第十四回 中国人学生食堂 2

 学生食堂では窓口がずらりと並んでいて、自分の食べたい物を出してくれる所に並びます。

 窓口付近にそこで供されるメニューが書き出してあるので、幾種類もの惣菜を食すのならば、窓口のハシゴとなります。

 大抵は米飯か、饅頭(マントウ・餡無し蒸しパンの一種)等の主食を選択し、続いて惣菜を選択するのが順序。
 主食に米飯を選んだなら、その上に惣菜をかけるのが、一般的なスタイル。
 惣菜は炒め物が中心で、食材は野菜、卵、豆、キクラゲなどの乾物、ハムを含めた肉類・・・、と豊富。味付けも、醤油、塩、味噌、ケチャップ(トマト?)味等々、バラエティーに富んでいました。

 ただ、北京という土地柄、魚類は泥臭い川魚が多く出回っていて調理に手間取るせいか、学生食堂のメニューにはあまり登場していないようでした。

 見た目はさておき、いずれも温かい内は美味しく食べられるものですし、栄養の偏りにさえ注意すれば、学食生活も悪くありません。

 更に食べ足りなければ、焼き菓子や揚げ菓子も売られているので、テイクアウトしておやつに食べるということも可能です。

 飲み物は、ジュース類は買えますが、お茶は無し。
 日本の外食風景には、ヤカンかポットが机の端に置かれていてお茶はご自由に、というのが自然なイメージとして浮かびます。けれども中国では食事中にお茶を飲むことは、少ないような気がします。
 しかし近年、日本発でお茶のペットボトルが中国国内でも発売されて結構な普及率ですから、現在は売られているかも知れません。

 食事が終わると、食堂出入り口近くに残飯入れと、流し場があるので、そこで食器をキレイにして食堂を後にする、というのが大まかな学食利用の流れとなります。
 ・・・以下続く(2005.11.13)







第十三回 中国人学生食堂 1

 中国の大学は、敷地内に生活に必要な施設が大抵備わっているので、学生の食事についても、学生食堂が完備されています。
 北京大学では学生食堂も寮と同じく、中国人学生用と留学生用が、別に建てられていました。

 他校では食券制でなかったり、留学生の少ない大学では、寮も食堂も、中国人学生と一緒の所もあります。
 学食のみならず、その他の施設もそうなのですが、大学によって細かい状況は異なります。ここは一つの例として捉えて頂ければ、と思います。

 北京大学の中国人学生食堂は、数軒が広い構内に点在しています。

 学生食堂の利用に必要な物は、食券に、あとは自分の食器。
 プラスチック製の食券には金額が印刷されており、お金と同じように使います。
 自前の食器としては、ホウロウ製の、洗面器を小さくしたような碗と、揃いの皿。碗は火にかけて温める鍋にもなりますし、皿は蓋にもなるので便利です。これに箸かスプーンで基本セットとなります。
 女子学生などは教科書の入ったカバンの他に、この基本セットを手製の巾着袋に入れて、食前の授業に出席したりするのです。

 何と言っても一時に大勢の食事を賄うので、食堂側としては作るのと、釜から惣菜をよそうので精一杯。よって食器を準備して洗って、までは手がらない、ということか、はたまた、衛生面は学生各自で責任を持つように、ということか・・・。

 学生達は時間になると、寮や教室から自転車(授業の移動にも活用)や、徒歩で食堂へ赴いて食事を摂りに行きます。
                                     
 ・・・以下続く(2005.10.25)







第十二回 エコロジー 1 

 通常の会話や文章に、ヤタラと横文字を使うこと抵抗を感じる方も多くいらっしゃるでしょうが、さすがに「エコロジー」は、既に定着した横文字の一つではないでしょうか。

 生態学、よりは自然環境保護運動、の方が一般的には認識度の高い意味かと思われます。
 最近、日本ではスーパー等で買った物を入れてくれる手提げビニール袋を有料に、の動きが出ています。既に自主的にそうしている所もあるようで、それこそエコロジーの観点から法制化も含め、今後この動きはより活発化するのでしょう。

 袋の持参は、面倒だけれど仕方が無い。でも慣れればそんなにどうってこと無い。
 TVで関連の街頭インタビューを見ていると、袋持参を実行されている方の大体は、このような意見でした。
 編集の都合で省かれたのかも知れませんが、どなたからも「昔に返るだけ」の声は聞かれませんでした。当たり前過ぎる極論だからでしょうか。

 中国では、昔は袋の有料が当たり前でした。
 私が北京大学に在籍していた折には、買い物用で自室に網兜児(ワンドー)という、網目状の袋をぶら下げていました。日本では、スイカを入れるのに使われるかな、というものですが、これは網み目が伸びて、かなり大きな物も入るので便利です。
 とにかく、買い物には袋持参で。これが普通の感覚でした。

 ある時、自転車で通りがかった露店で持参の袋に品物が入りきらず、その分を店のビニール袋に入れて貰ったのですが、帰り道でのこと。
 ハンドルにぶら下げたリンゴ入りビニール袋の手提げ部分が、その重さでみるみる伸びてくる!すぐに自転車を止められない車道だったので、焦るアセる。
 「わー!待ってー!」叫びながら減速したものの、結局は間に合わず、自転車を降りるか否かの差で、哀れ袋はぶち切れ、ドンッ(=中味が落ちた音)、ゴロゴロ・・・とリンゴは方々に転がって行きましたとさ。

 有料のクセに、薄くて重さに耐えられないような袋。それでも文句を言った所で、どうせどうにかなる訳で無し。しかも、こういう時に限って中身がネギやほうれん草でないのが、ミソ。
 一寸恥ずかしく、してやられたような、泣き笑いの秋の空、でした。
                                     
 ・・・以下続く
(2005.10.19)





第十一回 寮生活


 北京大学の学生寮は、中国人学生用と留学生用に分けられています。
 両者の設備条件は随分と異なるようで、留学生は不自由な外国生活とは言え、かなり優遇されていた筈です。

 寮の提供は、元々外国人に限らず、住まいを得ることが困難だった中国の住宅事情も絡んで、こうした便宜が生み出されたと考えられます。が、それでも最近はその様相も大分変わっているようです。

 近年では逆に、膨れ上がった留学生の数に寮の部屋が足りず、又は寮生活を嫌う等の理由で、留学生が学外に住まうことも暗黙に了承されているのが実情とか。
 開放地域内ですら、外国人の動向に規制があった時代を思えば、随分と変わったものです。

 北京大学の留学生寮のには色々な部屋のタイプがありました。
 一人部屋、二人部屋、3間の個人部屋に共有のリビングが付いているタイプ、家族連れの研究者などが滞在する、ホテルのようなタイプ、等々。

 私は二人住まいの部屋に、スイス人、イタリア人と、それぞれ1年ずつ暮らしていました。
 寮生活は、学生生活での基本を担うもの。当初は赤の他人、しかも外国人との居住に関して、色々な面で不安を感じました。が、少なくとも私たちは大きなゴタゴタも無く、その友情は今日まで続いています。

 一緒に料理を作ったり、お国自慢をし合ったり。勿論それなりに勉強もしましたが、良い人間関係に恵まれた、楽しい毎日でした。

 学生生活における、様々な地域から集まった人たちとの触れ合いの中で自分が特に感じたことと言えば、私たち日本人は自国の文化をもっと誇っても良いのではないか、ということでした。

 彼らが誉め上手な部分があるにしても、日本の食べ物や着るもの、使っているモノにしても、本当かな、と戸惑うほどの賞賛を受けるとコチラも悪い気はしません。禅など、精神的分野への関心度も高い。
 当然そうでない人もありましょうが、概ね皆日本に対して、何らかの興味を持っている、と私の目には映りました。

 礼節や、伝統的な技術や考え方、歴史・・・自分たちの文化に自信を持って大切にしてゆくべきだと、そういうことも学んだ、寮生活でした。
                                     
 ・・・以下続く
(2005.10.7)