中国今昔玉手箱-江南春琴行

かずよさんの『中国今昔玉手箱』

【第五十一回-第六十回】



第六十回 パスポート 4
 

 
 二代目のパスポートがあと数ヶ月で失効するという丁度その頃、北京大学で過ごした留学期間が終わろうとしていました。
 二度目の領事部訪問です。

 三代目のパスポートを、私は北京で申請作成したのでした。
有効のパスポートを提出することで、戸籍謄本の提出が不要ということ、そして作成手数料が日本より安い?というのが理由でした。
当時の申請料420元也。

 特に90年代以降、日本の旅券は偽造妨止の為にさまざまな技術が開発されたようです。
 これも又、海外渡航がもはや特殊な行為でなくなったこと、日本人のパスポートがいかに犯罪に悪用される率が高いか、ということの現れでしょうか。

 三代目のパスポートを申請した頃、日本では既に顔写真がカラー印刷のように紙面に平らかに、加工を施して刷り込まれるという技術が導入されていました。

 しかし、現在の北京の総領事館は知りませんが、当時はその技術が無く、発給された私のパスポートには、写真の上に透明のラミネートシールを頁に合わせて貼り付けただけ(!)というものが出来てきたのです。

 これじゃあいくらでも簡単に偽造出来そう。
 昔のパスポートの写真だって、ラミネートシールを貼った上に、押した後の紙面がデコボコする印章が押されていたのに。

 いよいよ二年間の留学期間を終え、私はこの非常にニセモノ臭いパスポートを携えて、初めて日本へ入国しました。

 入国審査の時、私は愛想笑いを浮かべておどけて言いました。「この写真の頁、ニセモノっぽいですよねぇ、アハハ」

 するとカウンターの向こうの税関職員氏はそんな私をジロリと一瞥して一言。「見れば判りますから」

 あ、そうですか。
 どうやら私みたいな面構えでは到底スパイとか、大それたことは出来ないらしいです。



・・・以下続く。 (2009.5.15)










第五十九回 パスポート 3




 日本のお役所だって似たようなものかも知れませんが、中国においても、大抵の物事を一度で済ませようという考え方自体が、そもそも間違っていると認識した方が宜しい。

 朝一番で行っても担当者が席を外している、なんてカワイイものです。書類の棚の鍵を持った人が来ないと話が始まらない、どころか出勤時間になっても何故か来ない、食事に出ている・・・等々。
 数度の門前払いや、やり直しをさせられることを予め考慮した方が、却ってイライラしなくて済むかも知れません。
 となると、日数もかかる筈。兎も角、時間も交通費も諸々含めた精神的物質的に費やす消耗を想像するだに、そんな面倒こそを避けたい、という訳です。
 お陰で(?)私はその方面の失敗をせずに済みましたが、それでも在北京日本大使館領事部には、二度ほどお世話になりました。

 一度目は、北朝鮮旅行へ行く前のこと。
 北朝鮮は、中国の旅行社が主催した、北京在住の日本人を対象としたツアー旅行に留学仲間と一緒に参加したものでした。北京発の日本人向け北朝鮮ツアーは、恐らくはこの時のものが初めての試みだったかと思います。

 しかも現在より情報も関連本も少なく、より厚い謎のベールに包まれていた北朝鮮。
 私たちが普通の旅行に出かけるよりも、多少興奮気味だったのはご理解頂けるのではないでしょうか。

 当時、日本のパスポートには「渡航先」という頁がありました。
 そこには英語で以下のように記されていました。

 This passport is valid for all countries and areas except North Korea ...

 「北朝鮮以外の国」。


 実際はそんな表記があったからって入国を拒否されることはない、と後で大使館の方には言われましたが、大使館にパスポートを持参したらこの記載分を消してもらえるらしい、と聞いたので、見学ついでに初めて領事部の門をくぐったのでした。

 殆ど無理矢理の、記念訪問のようなものでした。

 ・・・ヒマといいますか、単なる物好きだというお話です。


・・・以下続く。 (2009.3.17)










第五十八回 パスポート 2





 自分が初めてパスポートを所持した時は、確かに自分が次に海外へ行かれるようになるのは一体いつのことになるやら、と思っていました。

 が、その後バブルだの円高だの、と海外旅行ブームを促すような状況が続き、時代の流れが急速に変ったのです。

 私の二代目のパスポートは、大学1年の時に母に連れられて行った、ヨーロッパ旅行の為に作成したものです。

 その欧州旅行を皮切りに、大学時代は卒業を控えた年を除いて、クリスマス時期を日本で過ごしたことが無い、というのが私の密かなる自己満足でありました。思えば良い時代に突入したものです。

 欧州の他に、初めての北京短期留学、初めてのオーストラリア大陸、香港、台湾・・・、と当たり前ながら初めてづくしの渡航記録が記されていったのでした。

 北京大学在学も、この二代目パスポートを携行してのことでした。

 海外渡航者にとって、パスポートは大事な身分証明書。失ったりしたら大変、というのは当たり前の話。

 でも、もし中国で紛失なぞしでかしたら、中国なだけに輪をかけて面倒なのは判りきっている話でした。

 もし、パスポートを中国で紛失したら。

 まずは派出所へ出向いて、紛失したという事実の証明書をもらう。
 所管の公安局へ出頭して、旅券の紛失証明をもらう。
 日本大使館領事部か総領事館へ出向いて、書類提出。

 こうして初めて紛失した旅券を失効させることが出来るのだそうです。

 旅券再発行には、まだ手続きが必要です。聞いただけで面倒臭い。
 やっぱり失くさないに限るのです・・・。


・・・以下続く。 (2009.1.6)










第五十七回 パスポート 1




 最近、パスポートを更新しました。
 自分にとって、これで何代目になるのか、色も大きさもかなり変化している、日本のパスポートです。

 初めて取得したのは、勿論自分にとって初めての外国・中国へ行く為に作ったものです。
 一回の渡航に限り有効、という今は無き「一次旅券」でした。当時、子供どころか大人だって海外渡航はまだ相当に珍しいことだったように思います。

 旅券作成の手数料は自費だったけれど、東京都の事業で友好使節団としての渡航でしたから、中に添付する写真は東京都側で団員の分をまとめて撮影してくれました。

 団員である我々は全員高校生でしたから、制服姿での撮影です。ただ、男子で制服が詰襟の子は、上着を脱いでの撮影でした。

 なんとも信じられないような話ですが、「中国側に軍人(!旧帝国海軍か?)と誤解されてしまう恐れがあるから」と引率の先生方から説明があったのを確かに憶えています。

 ?日本に未成年の軍人は存在しないけれどねぇ・・・。まぁ、入国審査の際に、万一色々詰問されたりすると面倒だし、お国が違うと考え方もどうか、といったところでしょうか。

 お互いを解らない同士が交わろうというのですから、当たらず障らず、余計な事が起きないように、というのがお役所的と批判されるでしょうか。

 文化大革命という10余年にも渡る動乱が終焉を迎え、外国人との接触すら制限のあった、当時の中国の社会的背景を大人たちなりに考慮してのことだったのかも知れません。


・・・以下続く。 (2008.10.22)








第五十六回 バス




 9年の空白を経て北京を訪れることになった時、聞いた話やメディア等からその変貌ぶりを知るにつけ、渡航前は必要以上にビクビクしていたように思います。

 街が大開発され、新しい道も高層建築物も増え、外観も様変わりし、バス路線をはじめとした交通機関の状況も、以前とは異なるようで、スッカリ「浦島」を決め込んでいたのでした。
 渡航前はそれこそ一人で大騒ぎ。現地在住の友人知人には細かい質問で煩わせ、果てはタクシーや地下鉄の乗り方まで確認するという始末でした。

 しかし、そこは案ずるより生むが易し。
 確かに実際行ってみると、「えっ!こんなんなっちゃったの!?」が口癖になってはいましたが、少なくとも自分で動いた範囲においては、主要道路などのおおまかな地理は以前のままで、実はそれ程混乱は無かったのでした。
 そういう意味においては、高層建築や、立体交差などの見た目に惑わされてはイケナイ、これが結論でした。

 様子が幾ら変わったと言えども、例えば中国におけるバスの乗降の方法(?)などは以前と同じで、何だか笑ってしまった程です。
 整列乗車なんて概念の薄い人民を掻き分けて乗り込み、強い意思を以って切符を買い、乗降しなくてはならない、あのタイミングです。マイカー族が増えても、ニュータイプの空調付バスに乗ろうと、これは変わっていませんでした。

 一度など、やって来たバスが、自分の行きたい所へ行くか判らなかったので、ドアが開いた時運転手さんに「○×に行くか?」とステップに足を掛けながら(ココがポイント。グズグズしているとドアを閉めてサッサと発車させてしまう可能性大)聞くと行く、という返事。
 そこで飛び乗ったはいいものの、すぐさま扉は閉まり、振り向くと同行の友人がボーゼンとして停車場に立っているのが見えました。

 中国が初めてだった彼女は、このリズムに慣れて、否、知らなかったのです。
 あわわわーっとドアを叩いて騒いで、走り出したバスを止めさせ、すんでの所で置いてけぼりにならずに済んだ友人。後で聞くと、まさか私がそのままバスに飛び乗ると思わなかったらしく、しかし初めての体験を面白がってくれたのが幸いでした。

 何はともあれ、これらの所作が意外とスンナリと出来たので、渡航前と打って変わり、あれやこれやと気を揉んでいたのが杞憂に終わった一件でした。

 バスの乗り降り一つで「私まだまだイケるかも~」と自信を取り戻すことが出来ました。
 ・・・が、この話も既に数年前のこと。

 又事情が変っているかしら、とビクビクしだしている今日この頃です。


・・・以下続く。 (2008.9.7)




第五十五回 運動公園




 日本にもあると良いのに、面白いのに、と思うものが中国にもあります。
 その一つは、街のあちこちに設置されている、運動公園。

 住宅地区の中にある公園ですと、子供が遊ぶ場所、というイメージが日本にはありますが、中国のそれは、どちらかと言うと大人サイズのアスレチック遊具が設置されています。どこかの通信販売の宣伝で見るような、腕と脚を同時に動かしてその場歩行が出来るようなものや、ツイスト運動が出来るスタンド、腹筋、背筋を動かす遊具・・・が据えられていて、以前から気になっていました。

 研修で北京に滞在した時、宿の裏手にある、某機関の職員居住区内にその運動公園を発見したので、中に入ってみました。そこはランニング用トラックの縁取るように遊具が配されており、その気になればサーキット・トレーニングが可能なタイプ。全ての運動を行うと、かりの運動量になるはずです。

 私も、朝の集合時間を気にしながらトライしてみました。
 中には結構な筋力、動きを要求される遊具もあり、普段何もしていない方には使いこなせるかな、というものも。
 設備の安全面が気になりましたが、各自の体調体力に合わせて事故無く利用出来れば、案外楽しい空間です。

 実際、私が軽く汗をかいていた時、トラックでは丸く出たお腹を揺さぶりながら、男性がランニングをしていましたし、中学生くらいに女の子二人組が、ジム代わりに運動していて、ほほ笑ましかったです。

 よその公園では、テーブルの台がソロバンになっていて、計算ゲームが出来るようなものを見かけました。身体を動かすにはちょっと、というお年寄りでも、頭の「運動」が出来る訳です。

 遊具の種類も豊富。大人向けとは思えないような黄、青、赤、紫、水色・・・とカラフルで可愛らしい色彩が施されています。デザインもユニークで、公園ウォッチングもなかなか面白いもの。

 子供だけだとどんな災いが起こるかと、今や安心してオチオチと遊びにも出せない風潮となって久しい日本。地域の人々とのコミュニケーション上も、大人が足を運び易い子供の遊び場作りは有効かな、と思いました。

 日本では近年、プールや運動施設の危険度や耐久性のチェックを怠ったために生じた事故が多発していて、残念です。こうした点に注意して中国版運動公園を、日本にも取り入れてみてはどうでしょうか。

・・・以下続く。 (2008.5.12)


















第五十四回 ブーム



 80年代の半ばに、初めて中国を訪れた時の印象その一。「みんな、痩せているなぁ」。

 既に何度もお話しているように、この頃は中国に対する理解度が、現在よりずっと低かった私。
 例えば、ひょっとして食糧事情が・・・という風に、国情や背景を見据えて考える、とか斜に構えて物事を見る、といった思考能力、応用力も大いに欠けていたので「中国茶飲んで自転車をこいでいるからかなー・・・」なんて能天気に考えていた当時を、懐かしくも恥ずかしく思い出します。

 さすがに歳を重ねた分、私ももう少し知恵が付いていれば良いのですが。

 さて、90年代末に、数年ぶりで北京を訪れた時の印象その一。「デブが増えたなぁ」。

 特に太った子供が目立ったのには驚きました。
 中高年にもなれば新陳代謝の衰えのせいもあるだろうけれど、子供の肥満はちょっとねぇ、です。

 当初からその弊害が騒がれ、しかし今やすっかり定着した一人っ子政策と、生活全般が豊かになった結果、なのでしょうか。

 そんな中国も、現在は健康ブーム。
 都会では日本と同じようなスポーツジムもありますし、ヨガやティラピスの教室も人気があると聞いています。

 健康や減量を意識した食品も多いですし、ダイエットなんて、20年前の中国では恐らく概念すら理解出来なかった、必要の無い言葉だったのではないかと思うと、感慨深いものがあります。




・・・以下続く。 (2008.3.6)


















第五十三回  春節 民族大移動 2





 北京時代、春節に雲南省を訪れたことがあります。
大学が主催する旅行団に参加していた私は、数人の有志と共に途中で離団、更に奥地を目指す旅に出ました。
 何せ休みは一月もあるのです。折角こんな遠くまでやって来たのだから、この機を逃すテはありません。

 その折、省都・昆明から西双版納(シーサンパンナ)へ移動するのに当初飛行機で、と考えていた所、チケットは当然ながらソールド・アウト。当時は未だ鉄路は無かった時代で、やむなくワゴン車をチャーターし、片道一泊二日で目的地に向かったのでした。

 昆明から西双版納までは、飛行機で行けば1時間ですが、車ではグネグネとした山道を、幾つも越えて行かねばなりません。

 一日では到底行き着かないので、途中見知らぬ田舎町で一泊。
 何があるという所でもなし、と夜は早めに床に就くと、何やら表が騒がしい。何事かと出てみると、新年を祝う行列が出発するところでした。

  灯りが掲げられ、太鼓や爆竹が派手に鳴る中、海の精に扮した子供、龍踊り・・・と続きます。

 間違い無く手作りの衣装や小道具で、老若入り混じっての行列は、とても活き活きとして見えました。観光向けの人寄せ的なものと違い、中にはくわえ煙草のまま参列しているおじさんもいたりで、気取らない様が却って自然でした。

 町の人々が皆で新しい年を祝う素朴さに、住民らの手作りらしさがあって、良いものを見ることが出来ました。


・・・以下続く。 (2008.2.14)


















第五十二回  春節 民族大移動 1




 日本では暮れもお正月も済んだばかりの頃、上海に駐在している友人が言いました。

 「これから旧正月まで約1ヶ月、いよいよ年末。日本式の新年会と、中国式の忘年会の時期になります」。

 何だかヘンな感覚、と日本人の彼は言いますが、私にしてみれば、お正月が2回も迎えられてメデタイじゃないの、です。

 しかもこの春節期間は、およそ一ヶ月は全国的にお休みモード。駐在員も多少はその「恩恵」に浴せる筈です。
 本国への一時帰国で羽を伸ばすのもよし、中国から海外旅行へ、というリッチな体験も可能です。
 尤もビジネス上では、中国側の担当者がつかまりにくいなどの不便さも、ある程度認識しておかねばなりませんが・・・。

 春節は、それだけ中国の人々が一年で最も楽しみにしているお休みなのです。
 学生も「春暇」という長期休暇になりますし、会社や工場等、都会に働きに出ている者も、多くは帰省して家族と共に新年を祝うので、文字通り民族大移動となります。

 勿論都会でも、例えば北京では、廟会(ミャオフイ)という縁日が街中で何箇所も出て、屋台、見世物小屋・・・、と昔の雰囲気を味わうことが出来ます。

 そういう訳で、私たちがウッカリこの時期に中国への自由旅行を計画すると、宿や交通手段の確保に難儀するなど、何らかの影響を受けること必至です。
 しかしその反面、普段では見られないようなシーンを目にするかも、という楽しみもある、ということなのです。


・・・以下続く。 (2008.2.3)











第五十一回 奥運





 2008年は、オリンピック(奥運)が、いよいよ北京で開催されます。

 オリンピック開催よりさかのぼること3年前の冬、北京旅行で落ち合った中国の友人へ連れて行って欲しいとリクエストした場所に、北京オリンピック開催予定地がありました。

 立ち退きが完了したばかり、という風情であまりに何も建っていない空き地が一面に広がっているだけの場所。こんな何も無い所へ行きたいだなんて変っているな、と友人は思ったかも知れません。
 が、恐らくはついこの間まで、ここに住んでいたであろう人びとの暮らしを思うと、何の関係もない私ですら、それなりに思う所があります。

 現場では、予定地の周りを遠く囲むようにして、高級そうなマンションがポツリポツリと建っているのが見えました。こうした物件は、投資目的で完成前から予約が殺到しているとかで、売れ行きも上々だとか。

 次回ココに来ることがあったら、その時は絶対に見られない光景。貴重です。折角来たので、だだっ広い敷地内の道路を、ただ真っ直ぐに車で走って貰いました。

 何も建っていないのでつい「これでオリンピックに間に合うのかね」と独りごちたのを聞いていたらしく、友人が「ダイジョウブ。2年後には完成します」と応答。何故か断言口調だったのが面白い。
 友人の言に従うと、オリンピック本番の一年前には施設がほぼ完成している計算になりますが・・・。

 オリンピックに向けて、街中一丸となって建設ラッシュの北京。いずれにしても、平和な世の中でないと出来ないことです。
 建設の背景には立ち退きや公害発生も懸念されますが、やるからには素晴らしいイベントになったらいいな、と思っています。



・・・以下続く。 (2008.1.2)