阪神・淡路大震災
1月も半ばを過ぎました。今年初めての店長日記更新です。
今更ですが今年もよろしくお願い申し上げます。
小店はご存知のように神戸にありますが、私自身生まれも育ちも神戸っ子。
生まれ育った灘区は被害甚大、家族に人的被害はなかったのは幸いですが実家は半壊。目の当たりにした破壊された街の風景、愕然とした思いが脳裏に妬きついて離れません。
私自身は震災の際、神戸市垂水区に住んでおりました。
食器類は全滅、家具類は半壊、でもそれ以外の被害は軽微で、直接的な被害といえばメガネを壊したのとガラスの破片で切り傷を作った程度でした。
しかし私の仕事場が京都だったため、自宅からの通勤が出来なくなりました。
親戚、知人を頼って滋賀や京都方面を転々とし、正常な生活に戻るまで半年以上かかり、それなりに金銭的な影響もありましたが、家を無くした人に比べるとなんて幸せものかと自分に言い聞かたものでした。
あれから16年、今朝また震災の朝を迎えました。
あの時あの風景、起こったこと、感じたことをどうやって伝え残していくかがわれわれの世代の「神戸っ子」の責務なのだ、と毎年この朝を迎えるたびに心に銘じています。
今更ですが今年もよろしくお願い申し上げます。
小店はご存知のように神戸にありますが、私自身生まれも育ちも神戸っ子。
生まれ育った灘区は被害甚大、家族に人的被害はなかったのは幸いですが実家は半壊。目の当たりにした破壊された街の風景、愕然とした思いが脳裏に妬きついて離れません。
私自身は震災の際、神戸市垂水区に住んでおりました。
食器類は全滅、家具類は半壊、でもそれ以外の被害は軽微で、直接的な被害といえばメガネを壊したのとガラスの破片で切り傷を作った程度でした。
しかし私の仕事場が京都だったため、自宅からの通勤が出来なくなりました。
親戚、知人を頼って滋賀や京都方面を転々とし、正常な生活に戻るまで半年以上かかり、それなりに金銭的な影響もありましたが、家を無くした人に比べるとなんて幸せものかと自分に言い聞かたものでした。
あれから16年、今朝また震災の朝を迎えました。
あの時あの風景、起こったこと、感じたことをどうやって伝え残していくかがわれわれの世代の「神戸っ子」の責務なのだ、と毎年この朝を迎えるたびに心に銘じています。